自省
私の制作において、文様を万葉集シリーズにおける人物や源氏物語シリーズにおける花のように考え扱ってはならない。 青海波を海の象徴と考えるな。例えそれが海の抽象であっても。文様が何かの比喩であってはいけない。その文様自身でなければ表現できないものを絵画のなかで担わなくてはならない。文様の意味とはその使い方なのだ...
私の制作において、文様を万葉集シリーズにおける人物や源氏物語シリーズにおける花のように考え扱ってはならない。 青海波を海の象徴と考えるな。例えそれが海の抽象であっても。文様が何かの比喩であってはいけない。その文様自身でなければ表現できないものを絵画のなかで担わなくてはならない。文様の意味とはその使い方なのだ...
随分昔のことですが、後片付けのいらない使い捨ての紙パレットで絵を描く美大生を見て教授が嘆いていたものです。学生としては出来る絵に何の違いがあるのかと思います。絵を並べて木製パレットと紙パレットどちらを使ったのか区別することは不可能でしょう。 このことだけを取れば教授の古い精神論と片付けてもたいした問題ではあ...
現在の作品様式に移って間もない頃、日本の伝統文化への親しみを深めるためにと京都・奈良へ短期の旅行をしました。特に竜安寺の石庭は造形的にも重要に思えて二度訪れ長い時間を過ごしました。 竜安寺は有名な観光スポットですから修学旅行の中学生も大勢訪れます。彼らのような人々を思ってか、石庭前の部屋にミニチュアを置き石...
誰の言葉か忘れましたが、「自然は芸術を模倣する」昨今つくづくそう思います。もはやこうも言いたい、「現実は物語を模倣する」。さらには「事件はニュース番組があるから起こる」ここまで行ったらほとんど誤解されるでしょう。 全てが等価に起こる得体の知れないリアルなど人間が生活できる世界ではありません。人は物語を聞いて...
文様には意味がある。しかし、特に伝統文様などは吉祥に関わることが多く、互いに似ていてそれほど多様な広がりはないように思える。 だからと言って決して文様の可能性が小さい分けではない。例えば、それを絵画の中に持ち込めば新たな意味を獲得する。色や大きさを変えたり他の文様と組み合わせれば表現するものは違ってくる。人...
かつて予備校の講師は学生の石膏デッサンを見てこう言ったものだ。「裏側が描けていない。」 エッセイストの南伸坊氏にもこの経験があったらしく、一筋縄では行かない人だから、脇に石膏像の後頭部を描いたそうである。ようするに反射光を含んだ陰影法の未熟を指摘すれば良いのに、このもってまわった言い方にカチンと来たらしい。...
自分の描いた絵の見え方くらい揺れ動くものはなく、下絵を決めて本画にいつ移るかは悩ましい。特に人物の顔は見る時の気持ちの状態で違って来るし、私的な嗜好・趣味に走りたくはない。 それを一年程前からより抽象的で無性的な、絵画様式の柱である文様に合わせたものに変えて来たが、何かしら自分の絵画を整えようと教条的観念的...