隠久日記
裏側を描く
かつて予備校の講師は学生の石膏デッサンを見てこう言ったものだ。「裏側が描けていない。」 エッセイストの南伸坊氏にもこの経験があったらしく、一筋縄では行かない人だから、脇に石膏像の後頭部を描いたそうである。ようするに反射光を含んだ陰影法の未熟を指摘すれば良いのに、このもってまわった言い方にカチンと来たらしい。...
かつて予備校の講師は学生の石膏デッサンを見てこう言ったものだ。「裏側が描けていない。」 エッセイストの南伸坊氏にもこの経験があったらしく、一筋縄では行かない人だから、脇に石膏像の後頭部を描いたそうである。ようするに反射光を含んだ陰影法の未熟を指摘すれば良いのに、このもってまわった言い方にカチンと来たらしい。...
自分の描いた絵の見え方くらい揺れ動くものはなく、下絵を決めて本画にいつ移るかは悩ましい。特に人物の顔は見る時の気持ちの状態で違って来るし、私的な嗜好・趣味に走りたくはない。 それを一年程前からより抽象的で無性的な、絵画様式の柱である文様に合わせたものに変えて来たが、何かしら自分の絵画を整えようと教条的観念的...