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朗読会の会場店舗

先日、ドローイングのモデルをしてもらっている俳優さんの朗読会に行って来ました。日本料理店でお弁当を頂きながらの気楽な催しと言うことでした。

しかし、実際それは、ただの朗読ではなく気迫のこもったひとり芝居ですっかり引き込まれてしまいました。ですから、飲み物で口を潤しはしましたが、弁当を食べることなど考えられず、袋をもらって持ち替えりました。

その後、帰り道で色々と考えました。例えば、朗読を聴くことと本を読むことの違いです。朗読は留まることなく先へ進んでいくものです。一方、読書は、途中で止まって考え込んだり、ページをめくって元へ戻ったりできます。なので、朗読にはそれに適したテキストを選ぶ必要があります。今回は、夢野久作の小説から手紙のやり取りの形をとったものだったので良い選択と思いました。

考えてみると、物語でも文章でも、それを見せる、読み聞かせる方法によって作り方を変えなければいけないでしょう。それで、思い出したのは、昔、脚本家の山田太一が映画とテレビドラマの作り方の違いについて語っていたことです。例えば、映画では微かに聞こえる物音を表現として使えますが、テレビドラマでは音量は視聴者に委ねられてしまいます。

さらに現在では、その映画も映画館だけでなくネットのオンデマンドでテレビのように観られます。その上、音量だけでなく、途中で止めることも戻ることも出来ます。また、本の斜め読みのように早送りで観飛ばすことすら可能です。

これまで、書物には様々な読み方があり、それに対応もして来たでしょう。ビジネス書と詩集では作り方も読み方もまったく違います。するとこれから、映像作品も映画館で観るのに適したものとか、オンデマンドでの視聴者の自由な見方に対応したものとか差別化されて行くのでしょうか。後者が主流になって行くなら、いっそう受け取り手の質が映像作品の質を左右すると思います。すなわち、芸術鑑賞はもうひとつの創作行為ですから。

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