門外漢が理想的な芸術鑑賞をするために必要なこと
先日、絵のモデルを務めてくれているダンサーのソロダンス公演を見てきました。擦れた見方をすれば仕事上のお付き合いと言うことになるのでしょうが、退屈することなど全くなく楽しい時間を過ごすことができました。
そのダンスのカテゴリーはコンテンポラリーダンスであり、私のような専門外の素人には一番縁の無いものです。クラシックとモダンくらいは多くの人が知っていてもコンテンポラリーには馴染みがないと思います。絵に例えて、ダ・ヴィンチやピカソに対してポロックの一般人への浸透を考えてみてください。
私は門外漢であり、巨匠やその逸話、コンテストやそこの賞、公演のチケット価格、ダンサーや振付師のランク付け等など、コンテンポラリーダンスに関する知識は全くなく、だからと言って入門書を読むとかネットで調べるとかも考えたことすらありません。
これまで幾つかのコンテンポラリーダンスをただ見てきただけです。それでも、ダンスのなかでは最も難解であろうコンテンポラリーダンスが、私にとって面白く発見に富んだ充実した時間を提供してくれるものとなりました。
実は、私の願っている絵の見方をダンスに適用しているに過ぎないのです。先入観を排して真っ白な気持ちで絵の前に立って欲しい。でも忍耐は必要です。経験を積む時間も掛かります。近道はありません。芸術鑑賞において、逸話・伝説、評判・金銭価値、賞・ランク付け等をきっかけとすることを全部否定する分けではありませんが、芸術において理想を捨てたらこの世界に身を置くどんな意味があるのでしょうか。
芸術鑑賞は作品そのものを見る・聴く・読むことからしか始まらないのです。
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